野口 聡一氏(宇宙飛行士):バイオナンバー「352」

話題の人のバイオナンバー
今回紹介するのは、
アジア人で初めて民間宇宙船「クルードラゴン」に乗る大役を担う
宇宙飛行士
野口聡一氏です。
[生年月日:1965/04/15]
バイオナンバーは『352』になります。
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『話題の人』とは
① 現在、活躍している人物
(成功した人/偉人/旬な人/その業界では有名人)
② 今後、活躍が期待される人物
(まだ知られていないが、今から覚えておきたい人)
※人物の年齢や性別、国籍は問いません。
上記①②に該当する人物の功績を、
バイオナンバーから紐解きます!!
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※ 一番強い特性の真ん中の数字「5」の内容について、
の色で表しています。
生い立ち
野口氏は、神奈川県横浜市で生まれます。高校1年生のとき、スペースシャトルの初飛行を見てから宇宙飛行士になりたいという夢を抱きました。そして高校3年生のときに読んだ「宇宙からの帰還(きかん)」という本との出会いで宇宙飛行士になる決心をします。
そして東京大学大学院修士課程を修了し、石川島播磨重工業株式会社に入社。航空宇宙事業本部で航空技術者として約5年にわたりジェットエンジンの設計を担当しました。1996年に現在のJAXAである「宇宙航空研究開発機構」、旧「宇宙開発事業団(NASDA)」の募集に応募し、572人の受験者の中から宇宙飛行士候補者に選ばれます。
宇宙飛行士になった現在でも、自身は日本の航空宇宙産業や日本の科学技術開発の一翼を担う技術者であるという意識は強いという野口氏。宇宙空間を自在に遊泳することは誰にでもできる仕事ではありませんが、地上の産業のすそ野があるからこそ宇宙に行けるという捉え方をしています。「自分は大きな仕事の一部を担っているという意味では、一般企業のビジネスパーソンと変わりがない」と話しています。
宇宙では宇宙飛行士が自分のために使う時間はほとんどなく、大学や企業の研究者たちが次世代の技術開発を行うための無重力空間での実験に、多くの時間を費やします。フライトエンジニアにはそうした実験を手順通りに行い、その結果を報告して研究の一端を担うオペレーターとしての役目もあります。
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【参考資料】