安藤百福氏(日清食品ホールディングス株式会社 創業者):バイオナンバー「262」

今回から定期的で、著名人の生い立ちをバイオナンバーの特徴から分析します。
第一回は、日清食品ホールディングスの創業者「安藤 百福(あんどう ももふく)」氏です。
同氏のバイオナンバー262です。
<生い立ち>
幼い頃に両親を亡くした安藤氏は、呉服店を営む祖父母のもとで、商売の現場を間近に見ながら育ちました。独立心と事業意欲が旺盛で「誰もやっていない新しいことをやりたい」と、様々な事業を立ち上げて成功を収めました。時代の流れをいち早くキャッチして、すぐに事業化するベンチャー精神と、失敗してもあきらめないバイタリティーがあり、どんな事業も「何か人の役に立つことはないか」「世の中を明るくする仕事はないか」という確固たる信念のもとに行われていました。
終戦後、食糧難となった日本の悲惨な光景を見た安藤氏は「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、芸術も文化もあったものではない」と食の大切さを痛感します。
1957年、友人の薦めにより安藤氏が理事長を務めた信用組合が破綻。安藤氏はすべての財産を失いますが、「失ったのは財産だけ。その分、経験が血や肉となって身についた」と考え、自らを奮い立たせます。そして、闇市のラーメン屋台に並んだ人々の姿と、日本人が麺類好きであることを思い出し、"お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメン" を作ろうと決意。無一文の生活から這い上がるため、長い間あたためてきたアイデアの実現へ向けて、第一歩を踏み出します。
自宅の裏庭に建てた小屋で "お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメン" の研究を始め、道具や材料はすべて自分で探し集め、1日平均4時間という短い睡眠時間で丸1年間、たった一人で1日の休みもなく研究を続けます。そしてついに1958年8月25日、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売。お湯を注ぐとたった2分で食べられる「チキンラーメン」は、当時の常識では考えられない食品だったため《魔法のラーメン》と呼ばれます。
1966年、「チキンラーメン」を世界に広めようと考えた安藤氏は、欧米へ視察旅行に出かけた時、現地で訪れたスーパーの担当者たちの「チキンラーメン」を小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べるのを見て、アメリカにはどんぶりも箸もない、つまりインスタントラーメンを世界食にするためのカギは食習慣の違いにある、と気づきます。この経験をヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発に取りかかり、世界中で通用するように「カップヌードル」と名付け、1971年9月18日に発売。今では世界累計販売食数は「400億食」を超えています。
また、晩年になっても製品開発への意欲を失わず、宇宙食の開発を宣言したのは91歳の時。プロジェクトチームを結成し、自ら陣頭指揮をとって開発がスタートします。そして宇宙食ラーメン「スペース・ラム」は、無重力状態でもスープが飛び散らないようにとろみをつけ、麺を一口で食べられる大きさや形にするなど、さまざまな工夫を凝らして完成。2005年7月、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭載されて宇宙へ出発し、野口聡一宇宙飛行士が人類として初めて宇宙空間でインスタントラーメンを食べ、「地球で食べるインスタントラーメンの味がびっくりするぐらい再現されていた」と報告しました。「人生に遅すぎるということはない」と、95歳にして長年の夢を実現した安藤氏。新たな食の創造に対する熱意は、とうとう地球を飛び出して宇宙にまで広がっていったのです。
<バイオナンバー262から見た特徴>
バイオナンバー262の人は「頼みごとをされると断り切れない面倒見の良さ」の特性があります。そして、困難な問題にぶつかった場合でも、周りの人の協力によって容易に解決できます。常に人のためを思って行動していることが、結果的には自分のチャンスにつながるのです。
これは、人々が潜在的に求めている“食”を察知し、どんなに開発が困難であっても取り組んでいった同氏の行動に当てはまります。また、一人で籠って研究をしていたとありますが、その研究を支えた家族の理解・協力があってこその成功もあるでしょう。
特に、どんな困難にも立ち向かうのは『チャレンジ精神』『プラス発言をし、変革を恐れない』といった『6』のエネルギーが特に強く表れています。
NHK連続テレビ小説『まんぷく』では、安藤百福氏の妻「仁子(まさこ)」さんの半生をモデルにしたお話とのこと。ドラマの中の安藤氏(ドラマでは立花萬平)にも注目ですね。
バイオナンバー262の特徴はこちら
参考資料
日清食品ホールディングス株式会社HP-安藤百福クロニクル-