野依 良治氏(化学者):バイオナンバー「622」

話題の人のバイオナンバー
今回紹介するのは、
「歴史的化学論文大賞」にアジア初選出された
化学者
野依 良治(のより りょうじ)氏です。
[生年月日:1938/09/03]
バイオナンバーは『622』になります。
===================================
『話題の人』とは
① 現在、活躍している人物
(成功した人/偉人/旬な人/その業界では有名人)
② 今後、活躍が期待される人物
(まだ知られていないが、今から覚えておきたい人)
※人物の年齢や性別、国籍は問いません。
上記①②に該当する人物の功績を、
バイオナンバーから紐解きます!!
===================================
※ 一番強い特性の真ん中の数字「2」の内容について、 の色で表しています。
生い立ち
野依氏は1938年、兵庫県に生まれました。父親は化学企業の研究者でした。幼いころからとても頭が良く、神戸大学附属住吉小学校に入学しました。小学5年生の時、日本で初のノーベル賞に輝く湯川秀樹博士(ゆかわ ひでき、バイオナンバー565)のニュースを耳にし、湯川博士と科学への強烈な憧れが胸に刻まれていきました。小学校卒業後、文武両道で有名な灘中学へと進学しました。ある日、父親に連れられてナイロンで作られた新製品を披露する発表会に行くことになりました。野依氏はそこで、ナイロンが水と石炭と空気から作られることを知り、化学の力に感動し、化学への志を抱きました。その後、灘高等学校を経て1957年に京都大学工学部に進みました。1963年に同大学院工学研究科工業化学専攻にて修士課程を修了。1968年名古屋大学理学部助教授を経て、名古屋大学教授を務めました。
1969年にはアメリカ合衆国にわたり、ハーバード大学博士研究員としてイライアス・コーリー氏(1990年ノーベル化学賞を受賞、バイオナンバー235)の下で研究を行います。この時期、後のノーベル化学賞共同受賞者となるK・バリー・シャープレス氏(バイオナンバー363)との交流が始ます。帰国後の1972年、名古屋大学の理学部教授に昇任。1983年には医薬品、サプリメント、嗜好品、食物、アロマテラピーなど、色々な分野で用いられているメントールの量産化に成功します。1986年に医薬品や香料などの合成の触媒として、工業化され広く利用されているBINAP-ルテニウム触媒を発明するなどの業績を残しました。
・・・
この続きは、
スマートフォンアプリ『BIONUMBER』にてご覧いただけます。
ダウンロードしていただき、ぜひご活用ください!
【参考資料】