堀江貴文氏(実業家):バイオナンバー「442」

今回、バイオナンバーの特徴から分析する人物は、実業家「堀江 貴文」氏です。
同氏のバイオナンバーは442です。
<生い立ち>
堀江貴文氏は福岡県の八女市出身です。両親共働きで父は自動車の販売の営業マン、母は会社員でした。一人っ子でしたが実家は余り裕福ではなかったそうです。両親は非常に躾に厳しく柔道を習わされ、「拒否ると家を追い出されるので拒否れなかった」そうです。小学2、3年生の頃、サボったことがすぐに母親にバレて、真夜中に追い出されたこともあったようです。テストは100点を取るのが当たりまえだと言われ「90点台など見せられなかった」そうです。久留米大学附設中学校を経て県内でも屈指の進学校として知られる久留米大学附設高校へ進学します。東大や京大へ進む生徒が非常に多い学校でしたが、堀江氏は学業にはあまり身を入れておらず中高時代から独自でゲームを作ったり教材のソフトを開発するなど幅広く活動していたことから成績はよくありませんでした。しかし東京大学入学を目指し一念発起し、夏休みからの猛勉強を経て見事東大合格を勝ち取ります。
東京大学在学中、バイト先で有馬あきこら設立メンバーと知り合い1996年に「オン・ザ・エッジ」という会社を設立します。事業内容は主に企業向けのホームページ制作や、システム制作を請け負う会社でした。元々、プログラミングの技術に長けていた堀江氏自身がプログラマーの仕事をしていました。 共同経営という形で始めたものの会社は徐々に大きくなり2000年4月には東証マザーズで株式公開をします。会社を設立後、すぐに東大を中退。その理由について「仕事が面白くなったから」「東大を卒業してもあまり意味がないと思ったから」と語っています。
起業して成功し、2002年に経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得。その後も他社の買収を次々に行い、球団の買収やニッポン放送の買収はメディアでも取り上げられ、世間に堀江氏の存在が知れ渡ります。さらには選挙に立候補をするなど活動は多岐にわたっていきます。
しかし、2006年1月証取法違反(風説の流布・偽計取引)容疑で逮捕され、翌月に証取法違反(有価証券報告書虚偽記載)容疑で再逮捕されます。2011年4月26日、最高裁が上告を棄却。懲役2年6ヶ月の実刑判決が確定します。収監前のインタビューで堀江氏は「獄中では本を読んだりダイエットしたり人生をリセットしたい。獄中の様子をちょっとずつ発信して2年半後社会のためにお手伝いしたい。自分を見つめなおし、健康になって帰ってきたい。」と答えます。収監後も面会したスタッフを通して、Twitterやメールマガジン等での社会的活動を継続。書籍を出版するなど、活動を続け、有料メルマガの創刊3週間の有料登録数は日本で歴代1位となり、収監中も読者数1位を維持し続けました。2013年3月27日、長野刑務所から仮釈放。11月10日に刑期満了します。
釈放後、グループトークアプリ「755」を開発する会社・株式会社7gogoを設立や、講演会の実施、本の執筆、コンサルタント、有料オンラインサロンなど、さまざまなメディアを駆使し精力的に活動し続けています。
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バイオナンバー442の人は、妥協を許さず、粘り強く自分の世界を確立させる人物です。なんでも真剣に間違いなくやり遂げたいという意識が強く、全力で取り組みます。また、奉仕の精神をもって社会貢献をすることで、より多くの利益や恩恵を得られる特徴があります。起業から様々な企業の買収し、自身が描くビジョンを次々と体現しようとする姿勢、そして収監、保釈を経て、社会のための活動を積極的に行うようになった堀江氏の現在の様子が特徴として表れています。
堀江氏がライブドア社長時代から出資しつづけている、小型のロケットで超小型衛星を安価に打ち上げるシステムの構築を目指すベンチャー企業「インターステラテクノロジズ」が2019年5月4日、ロケットの打ち上げに成功しました。宇宙空間とされる100キロ以上の高度に到達は、民間主導で開発したロケットでは日本では初。現地で打ち上げを見守った堀江氏は「(ロケット)打ち上げの打ち上げ(飲み)をやった。もう14年やってますからね」と感慨深げに語ります。そして夢について聞かれると「宇宙は果てが見えないんで終わらないんです。どんどん広がっている。」と話し、自らの宇宙行きには「どっちでもいい」と消極的に語ります。
思い描く世界の確立に向けて活動することで社会に様々な形で影響を与え続ける堀江氏は、今後も歴史を作り続けていくことでしょう。
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参考資料
Wikipedia
著書:ゼロ
各新聞社記事