辻 発彦氏(埼玉西武ライオンズ監督):バイオナンバー「251」

こんにちは!
今回バイオナンバーの特徴から分析する人物は、プロ野球埼玉西武ライオンズ監督の「辻発彦」氏です。
同氏のバイオナンバーは251です。
<生い立ち>
1958年10月24日、佐賀県小城市牛津町出身。当時、九州を本拠地としていた西鉄ライオンズのファンで、父の運転するトラックで度々佐賀から福岡の平和台野球場へ野球観戦に出かけていました。自身も野球に励んでいましたが、佐賀市立昭栄中学校を卒業した時点では身長が161cmと小柄で高校での硬式野球を諦めようと考えていました。
しかし、佐賀県立佐賀東高等学校に進学すると強い情熱で練習を積みます。佐賀県立佐賀東高等学校は歴史が浅く強豪ではなかったため、甲子園は夢に終わりましたが、熱心な練習を続けた結果、一気に身長が20センチ近くも伸びました。
卒業後は日本通運に就職し、社会人野球を続けます。高校時代と比べ周りの高いレベルに驚愕しながらも続けていくうちに、中軸打者として4番を打つようになり、守備では三塁手を任されるようになりました。
1983年ドラフト会議を迎えると、予想だにしていなかった西武ライオンズから2位指名という高評価を受けます。社会人時代には目立った実績がなく、上位指名に対して驚きの声もありましたが、当時西武フロントの中心だった根本陸夫氏(622)が辻氏の素質を見抜き、上位での指名に繋がったそうです。
1988年からはチームの選手会長を務め、不動の二塁手として同年から7年連続でゴールデングラブ賞を受賞します。1989年までは9番打者など下位を打つことが多い辻氏でしたが、1990年からは1番打者として打線を牽引しました。1993年には、打率.319で首位打者に輝き、5度目のベストナインに選出されるなど球界最高の二塁手の名を欲しいままにしました。
1996年からは、野村克也氏が率いるヤクルトスワローズに移籍します。順調にキャンプを過ごしましたが、オープン戦で骨折を負い、自身の開幕は5月にずれ込みました。しかし、そこから安打を量産し、首位打者争いに参戦します。夏場以降に数字を落としましたが、キャリアハイの打率.333でリーグ2位と意地の復活を見せます。
1997年には、チームの精神的支柱として古巣西武との日本シリーズにも勝利します。そして1999年、キャリアワーストの17試合出場に終わり、通算16年の現役生活に別れを告げました。
現役引退後は、即指導者の道をスタートさせます。ヤクルト、横浜、中日と3球団を渡り歩き13年もの間、コーチや二軍監督を務めました。2006年には第1回WBC日本代表コーチも務めました。
2017年から22年ぶりに古巣西武のユニフォームに袖を通し一軍監督に就任しました。2018年はチームを開幕から1年間首位の座を明け渡さず優勝に導き、2019年には、最大8.5差あったソフトバンクとのゲーム差をひっくり返し130試合目にてシーズン初の首位浮上。これは2001年西武の129試合目を抜くパリーグ最高記録でした。
<バイオナンバー251から見た特徴>
バイオナンバー251の人は、頭脳明晰で理解力に優れ、様々なデータを多面的に分析し、有効活用することができます。また、自分の考え方を誰にでもわかりやすく説明し納得させることも得意です。
2019年シーズンは開幕から首位になれない日々が続き、投手陣の不調も相まって厳しい戦いを強いられました。しかし、監督として選手の適性を見極め、的確な采配でチームを優勝に導いた点に251の特徴が強く表れています。10月に開幕するクライマックスシリーズでもその指導力を発揮し、チームを日本シリーズへと導いてくれることでしょう。
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参考資料
Wikipedia
VICTORY