川内 優輝氏(マラソン選手):バイオナンバー「161」

こんにちは!
今回、バイオナンバーの特徴から分析する人物は、マラソン選手の「川内優輝」氏です。
同氏のバイオナンバーは161です。
<生い立ち>
1987年3月5日、東京都世田谷区出身。元アマチュアボクサーの父と元中距離ランナーの母の間に生まれました。初めてマラソンに挑戦したのは、小学1年生の時。「スポーツが出来る子に育って欲しい」という両親の思いから、ちびっこマラソンに応募します。すると、練習せずにいきなり出場した1500mを7分台で走り5位に入賞。これを見た元陸上部の母は、練習を積めばもっと速くなると確信し、近所の公園で毎日1.5km走ることを課しました。練習の時は厳しかった母に対し、父は常に優しく、川内氏のよき相談相手になっていたそうです。
中学生になるとタイムが速くなることに喜びを感じるようになり、自分からマラソンにのめり込みます。父は息子が将来箱根駅伝を走ることを夢見ていました。川内氏も父の期待に応えようと必死に走り続け、高校は陸上の強豪、埼玉・春日部東高校へ進学します。
そんな固い絆で結ばれた父子に悲劇が襲います。高校卒業を間近に控えた2005年、父・葦生さんが59歳の若さで逝去。川内氏の2人の弟はまだ中学2年と小学6年。突きつけられた現実に母はどん底にいました。そんな母を救ったのは、懸命に走る川内氏の姿でした。学習院大学に進学が決まっていた川内氏は、陸上部に入り、父の夢であった箱根駅伝出場を目指し猛練習を重ねました。そうした懸命に走る息子の姿に悲しみに暮れていた母も、次第に元気を取り戻していったそうです。そして大学2年の時、川内氏はついに亡き父の夢を叶え、関東選抜チームの1人として箱根駅伝に出場。学習院の選手が箱根を走るのは史上初の快挙でした。
川内氏は、箱根駅伝に2度出場し、4年生の時には区間3位と健闘しました。その活躍を見た実業団チームから誘いを受けましたが、川内氏は全て断りました。「父との約束を果たした今、家族を支えることこそ自分の使命」と考え、公務員になることを選んだのです。家族のために給料の半分以上を生活費にあて、弟2人が進学すると、様々な面で支えたそうです。その一方で、川内氏は走ることを諦めませんでした。1日8時間の勤務をこなしながら、ひたすら走り込むことで、市民ランナーとして大会を目指しました。
2016年、世界陸上ロンドンの代表選考会である福岡国際マラソンに出場し、日本代表を目指します。しかし、福岡国際マラソンの3週間前に右ふくらはぎを痛めてしまいます。周囲は欠場も含め、戦略の見直しを助言しましたが、一度決めたら必ずやり通す性格の川内氏は断固出場を決めました。右ふくらはぎの故障という逆境の中、全体2位となり日本代表に選出されました。そして2017年、世界陸上ロンドン大会・男子マラソン本番に出場。レース序盤で看板への激突や転倒など度重なるアクシデントに見舞われるも、果敢に先頭集団についていき、惜しくも入賞とはなりませんでしたが、日本人トップの9位でフィニッシュしました。
2018年4月16日に開催された第122回ボストンマラソンにおいて、2時間15分58秒の記録で優勝しました。日本人の優勝は1987年大会の瀬古利彦氏(666)以来31年ぶりの快挙です。帰国直後の成田国際空港では報道陣に対して、競技に集中するために、2019年3月限りで埼玉県庁を退職し、同年4月より「プロランナー」に転向する事を発表しました。
<バイオナンバー161から見た特徴>
バイオナンバー161の人は、外に向かって打って出る攻勢的な面と、自分と向き合い、自分の世界に入り切って集中する面の両面を兼ね備えています。そのため、目標を明確にすると、途中にどんな困難な問題が待ち構えていようとも、楽々と乗り越えられます。
父の逝去、怪我など様々な困難を乗り越え、結果を出し続けている点に161の特徴が強く表れています。最近では、同じくマラソン選手の水口侑子氏(521)との結婚を発表した同氏。プロに転向し、夫婦で足りない部分を補いながら競技に取り組むことで、更に輝かしい成績を残していってくれることでしょう。
バイオナンバー161の特徴はこちら
参考資料
Wikipedia
スポーツニッポン
TBS「バース・デイ」